2012年 03月 31日
リトアニアのカナウスにある杉原千畝記念館 |
『六千人のビザ』で有名な杉原千畝(1900~1986)が、日本政府の命令に反して、その頃リトアニア共和国の臨時の首都であったカナウスの日本領事館の領事代理として、1940年7月18日から9月6日の列車が出るまで、ドイツ占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきたユダヤ系難民に対してビザを発行し続けた。
1947年に帰国したが、外務省から退職通知を受け退職。2000年に当時の河野洋平外務大臣によって名誉回復する。昨年11月にカナウスにある「杉原記念館」の訪れた卒業生がそこの冊子を送ってくれました。
(1)冊子の表紙
(2)杉原記念館チケット
(3)領事館前のユダヤ系難民
(4)元領事館にかけられた「希望の門 命のヴィザ」の看板
(5)命のビザ (男性の妻ソフィのパスポート。杉原自筆の「通過査証」の字が読める。
(6)早稲田大学14号館にある千畝の記念碑 2012,5,19
1947年に帰国したが、外務省から退職通知を受け退職。2000年に当時の河野洋平外務大臣によって名誉回復する。昨年11月にカナウスにある「杉原記念館」の訪れた卒業生がそこの冊子を送ってくれました。
(1)冊子の表紙
(2)杉原記念館チケット
(3)領事館前のユダヤ系難民
(4)元領事館にかけられた「希望の門 命のヴィザ」の看板
(5)命のビザ (男性の妻ソフィのパスポート。杉原自筆の「通過査証」の字が読める。
(6)早稲田大学14号館にある千畝の記念碑 2012,5,19
by katuheiyamalove
| 2012-03-31 21:10