2012年 04月 18日
承久の乱の前哨戦 新発田の願文山2012,4,16 |
承久元年(1219年)三代将軍源実朝が公暁に暗殺され、鎌倉殿の政務は頼朝正室の北条政子が代行、執権である弟の義時がこれを補佐する。後鳥羽上皇は討幕を決意し、順徳天皇も積極的で、承久三年(1221年)に譲位し、朝廷と幕府は対立する。承久の乱である。後鳥羽上皇は、諸国の御家人、守護、地頭に院宣を発する。結局六月、幕府方の圧勝となり、朝廷は幕府に屈服し、それまでの二重支配が武士方の権力に確立した。一種の革命との見方もある。後鳥羽上皇は隠岐に、順徳上皇は佐渡に配流される。新発田の願文山(248m)では、上皇方の藤原信西の家人である酒匂家賢は幕府方の加治城主である佐々木信実に攻められ全員討ち死にに。五月二十九日のことだから、朝廷方への最初の勝利といえる。昭和三年に酒匂家賢は勤王の功により正五位を追贈される。
(1)酒匂家賢の墓
(2)供養塔
(3)観音像
(4)願文神社
(5)堀切
(1)酒匂家賢の墓
(2)供養塔
(3)観音像
(4)願文神社
(5)堀切
by katuheiyamalove
| 2012-04-18 21:05