2013年 05月 01日
『奥の細道』むすびの地 大垣 2013,4,15 |
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」と、隅田川の芭蕉庵から出立して「露通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入れば、(中略)伊勢の迁宮おがまんと、又舟にのりて、 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と終る『奥の細道』は岐阜県大垣でむすぶ。
(1)芭蕉と曾良の像がある「奥の細道 むすびの地」
(2)『奥の細道』名句の碑のある案内図
(3)大垣は水運の町でもあった。
(4)芭蕉記念館にあった「無何有荘」 「無何有」とは『荘子』にある言葉だが、ウイリアム・モリスの『ユートピア便り』は『無何有郷だとり』と訳されたことがある。芥川龍之介が卒論でモリスについて書いた。
(5)宿泊した岐阜羽島は円空の生地でもあった。
(1)芭蕉と曾良の像がある「奥の細道 むすびの地」
(2)『奥の細道』名句の碑のある案内図
(3)大垣は水運の町でもあった。
(4)芭蕉記念館にあった「無何有荘」 「無何有」とは『荘子』にある言葉だが、ウイリアム・モリスの『ユートピア便り』は『無何有郷だとり』と訳されたことがある。芥川龍之介が卒論でモリスについて書いた。
(5)宿泊した岐阜羽島は円空の生地でもあった。
by katuheiyamalove
| 2013-05-01 20:30