2011年 06月 10日
足利尊氏(1305-1358) |
室町幕府初代将軍(1338-1358)
建武新政のきっかけをつくったが、のち叛いて光明天皇を擁して征夷大将軍になり室町幕府を開いた。光明天皇(1321-1380)南北朝時代の北朝の天皇。後伏見天皇の皇子。名は豊仁(ゆたひと)。
後醍醐天皇吉野遷都後、足利尊氏が擁立(在位1336-1348)京都の衣笠山の麓にある等持院は夢窓国師の作庭と伝えられていますがその隅のほうにひっそりと足利尊氏の墓がありました。義満の金閣寺や義政の銀閣寺とは比べられないほど小さな寺です。2010,10,3撮影

楠木正成(1294-1336)の千早城
「くすのきまさしげ」南北朝時代の武将。河内の土豪。1331年(元弘1)後醍醐天皇に応じて兵を挙げ、千早城にこもって幕府の大軍と戦い、建武政権下で活躍。のち九州から東上した足利尊氏の軍と戦い湊川に敗死。大阪府と奈良県にまたがる金剛山(1125m)の西麓にある。2006,12,1撮影

大覚寺・正寝殿 亀山法王・後宇多法王の系統は「大覚寺統」と呼ばれ、後深草天皇の系統の「持明院統」と交代で帝位についた(両統迭立)。この両系統が対立したことが後の南北朝分裂につながった。元中九年(1392年)、南北朝の和解が成立し、南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝の後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのはここである。2010,10,4撮影

建武新政のきっかけをつくったが、のち叛いて光明天皇を擁して征夷大将軍になり室町幕府を開いた。光明天皇(1321-1380)南北朝時代の北朝の天皇。後伏見天皇の皇子。名は豊仁(ゆたひと)。
後醍醐天皇吉野遷都後、足利尊氏が擁立(在位1336-1348)京都の衣笠山の麓にある等持院は夢窓国師の作庭と伝えられていますがその隅のほうにひっそりと足利尊氏の墓がありました。義満の金閣寺や義政の銀閣寺とは比べられないほど小さな寺です。2010,10,3撮影

楠木正成(1294-1336)の千早城
「くすのきまさしげ」南北朝時代の武将。河内の土豪。1331年(元弘1)後醍醐天皇に応じて兵を挙げ、千早城にこもって幕府の大軍と戦い、建武政権下で活躍。のち九州から東上した足利尊氏の軍と戦い湊川に敗死。大阪府と奈良県にまたがる金剛山(1125m)の西麓にある。2006,12,1撮影

大覚寺・正寝殿 亀山法王・後宇多法王の系統は「大覚寺統」と呼ばれ、後深草天皇の系統の「持明院統」と交代で帝位についた(両統迭立)。この両系統が対立したことが後の南北朝分裂につながった。元中九年(1392年)、南北朝の和解が成立し、南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝の後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのはここである。2010,10,4撮影

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by katuheiyamalove
| 2011-06-10 18:23